Taglibro de miyacorata

Vi fine falos en la marĉon.

空想文学少女はブックカードの夢を見るか

ショッピングセンターはイルミネーションで光り輝き、駅の改札にもコンビニの店先にもクリスマスツリーが飾られクリスマス一色となった年末、クリスマスイブを皆様いかがお過ごしでしょうか。聖なる夜にどうかハピネス多からんことを。毎度どうも宮野です。

この記事は「ジョンべべベント・カレンダー 2019」の12月24日の記事として書かれています。昨日の記事は硫酸鶏氏の「[object Object]」でした。マダー?

//TODO: 記事が追加されたらここに貼る

本題に入る前に

本日12月24日は萩原雪歩さんならびにイヴ・サンタクロースさんのお誕生日です🎉

星降る聖夜 萩原雪歩 (ミリシタSSR)

ハッピーホーリーナイト イヴ・サンタクロース (デレステSSR)

シアターのみんながクリスマスの準備をしているのもとても微笑ましいんですが、イヴさんのカード見てしまうと背後にあるクリスマス...ツリー...?がカオスすぎてデレの力を感じますね(?)

空想文学少女の話をしよう

さてそんなクリスマスイヴですが特にクリスマスと関係ないことを書きます。

空想文学少女といえば言わずと知れた LIVE THE@TER HARMONY 02 収録されている七尾百合子さんのソロ曲、切なさを感じさせる歌詞でありながらそれでいて爽やかさもあるメロディに歌声が合わさり、一目惚れならぬ一聴き惚れした曲です。好きな曲はなにかと聞かれたら相手がアイマスPでなかったとしてもオススメしたいですね。聞いたことない人はとりあえずTSUTAYAか最寄りのモタクショップやYodobashi.comで買うと良いと思います。

当時はグリマスもミリシタもそれほどやってなかったこともあって七尾百合子さんのイメージがこの曲ベースで構築されていたのですが、いざミリシタでコミュをみれば所謂「図書室の暴走特急」だったというのを目の当たりにしておくちポカーンするのはもう少しあとのことなのですがこれはまた別のお話。

お気に入りの物語 (ミリシタSSR)
幸せ読書トーク (グリマスSR)

薄汚れたカードの行方

この曲、図書館を舞台に繰り広げられるわけですが、ここで少しとある部分の歌詞を読んでみましょう。

深呼吸で開いた裏表紙
ほんの少し君に近づく瞬間

薄汚れたカードに記された
右上がりの5つの文字

空想文学少女 (作詞:藤本記子)

これの意味と今から自分が書こうとしていることがなにかわかるかたは一定の年齢を超えた方々であると思っています(小声)

逆にこれの意味がよくわからん!なんそれ!という方はぜひこの記事を読み進めてください。この歌詞がどんな光景だったのか、どうして今は見られなくなってしまったのかをお話しましょう。

在りし日のニューアーク方式のお話

知っている方には釈迦に説法かもしれませんがどうかお付き合いください。
また万が一誤りがあれば訂正しますのでお知らせください。

先程引用した歌詞に出てくる"薄汚れたカード"、かつては"ブックカード"と呼ばれたりしたかつての図書館の貸出管理のためのアイテムでした。ブックカードを用いる貸出管理の方式を特に「ニューアーク方式」と呼びます。ちなみにニューアークとはこの方式がアメリカはニュージャージー州にあるニューアーク公共図書館で生まれたことに由来します。

耳をすませばを見たことがある方は図書館のシーンを思い出していただければと思います。
そういえば耳すばもそういうストーリーだった気がします 若干違うかな?

ニューアーク方式の貸出の流れ

おそらく「わからん」という人はおそらく今主流のコンピュータ式を使ってきたのでしょう。コンピュータ式の流れが以下のような流れになっているでしょう。

  1. 利用者カードと借りる本をカウンターの図書館員に出す
  2. 図書館員がカードを読み取り、本のバーコードを読み取る
    (場合によってはこの時本の返却期限票に返却期限のはんこが押される )
  3. 利用者カードが戻され、本が貸し出される

対してニューアーク方式では以下のような流れになります。

  1. 本の裏表紙に差し込まれているブックカードに名前と借りる日の日付とかを書く
  2. カードと本をカウンターの図書館員に出す
  3. 図書館員がチェックし、本の返却期限票に返却期限のはんこを押す
  4. 図書館員がブックカードを預かり、本が貸し出される

めんどくせえなって思ったでしょう、めんどくさかったんです。
この方式はまず借りる人の名前などの情報を書き込む必要があったというのがポイントです。

ブックカード
ブックカードの例
( Kkairri 氏による作品, パブリック・ドメイン, WikimediaCommonsで見る )

右上がりの5つの文字 とは、前に借りた"君"が自分自身の名前を記入したものだったのだろうと推察できます。っていうかそうでないとエモが8割消えます。

また、ブックカードは貸し出しされていないときは常に本に挟まれているため、カードを見れば過去に借りた人がわかるというのも特徴の一つでした。

ニューアーク方式は何故普及し、何故廃れたか

現代においてはまず見かけることのなくなったニューアーク方式ですが、現在ではほっっっっとんどみることができません。おそらく現在見られるとしたら一部の学校図書館に限られるのではないかと思います。

現代の図書館のご先祖 CIE図書館

ニューアーク方式が広く普及したのは第二次世界大戦終結後、戦後のGHQ占領時代にまで遡ります。

かつて日本にはGHQの部局の一つであるCIE(Civil Information and Educational Section : 民間情報教育局)が設置したCIE図書館という図書館がありました。日本各地に設置され、例えば九州には福岡CIE図書館と熊本CIE図書館、そしてそれらの分室がありました。熊本CIE図書館は後に熊本市に移管され現在の熊本市立図書館となっています。

Kumamoto City Library 20111127.png
熊本市立図書館
( Hisagi 氏による写真, CC BY-SA 3.0, Wikimedia Commonsで見る )

CIE図書館は戦時中及び戦前の日本の図書館にはなかった開架方式を採用し、入館手続き不要で入館料も無料、レファレンスサービスや図書館間相互貸借など、現代の図書館の基礎となりました。

このCIE図書館がこれらの手法とともにニューアーク方式による貸し出し管理の導入を推奨し、また1960年に日本図書館協会が出したハンドブックでも「ニューアーク方式が今の所いちばんいいよね(意訳)」というスタンスだったこともあり、この方式が広く普及しました。ニューアーク方式及びその派生方式は1965年頃に全盛期を迎えることとなります。

借りた記録が残ることの是非

ニューアーク方式の特徴の一つに「カードを見れば過去に借りた人がわかる」ことがあります。これがないと空想文学少女も耳すばも成り立たない重要な要素なのですが、図書館側から見るとこれは好ましくない排除したい要素であったのです。

図書館の自由に関する宣言」をご存知でしょうか。図書館の入り口とかに掲示されていたりする宣言文です。図書館戦争シリーズをご存じの方はよくご存知かもしれませんね。

図書館の自由に関する宣言 (佐賀県立図書館にて)

図書館の自由に関する宣言

図書館は、基本的人権のひとつとして知る自由をもつ国民に、資料と施設を提供することをもっとも重要な任務とする。
この任務を果たすため、図書館は次のことを確認し実践する。

第1 図書館は資料収集の自由を有する。
第2 図書館は資料提供の自由を有する。
第3 図書館は利用者の秘密を守る。
第4 図書館はすべての検閲に反対する。

図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る。

図書館の自由に関する宣言 - 日本図書館協会(抜粋しています 全文はこちら

これは図書館の基本のキ、図書館の憲法とも言われる宣言で、1954年に採択、1979年に改訂されています。1979年の改訂で加えられたのが第3の「図書館は利用者の秘密を守る」という条項。そう、ニューアーク方式はこれに反するのです。第3の宣言をより詳しく見ましょう。

第3 図書館は利用者の秘密を守る

1. 読者が何を読むかはその人のプライバシーに属することであり、図書館は、利用者の読書事実を外部に漏らさない。ただし、憲法第35条にもとづく令状を確認した場合は例外とする。

2. 図書館は、読書記録以外の図書館の利用事実に関しても、利用者のプライバシーを侵さない。

3. 利用者の読書事実、利用事実は、図書館が業務上知り得た秘密であって、図書館活動に従事するすべての人びとは、この秘密を守らなければならない。

図書館の自由に関する宣言 - 日本図書館協会(抜粋しています 全文はこちら

注釈:憲法35条にもとづく令状とは裁判所により出される捜索差押許可状などをいい、捜査員の口頭での捜査協力には応じられないという感じのやつです。

貸出の記録は我々が思っているよりとてつもなくセンシティブな情報であると図書館の世界では特に認識されており、ニューアーク方式も「貸出記録が残るのはマズい」ということで次第にブラウン方式という別の方式に移行することになります。ブラウン方式はニューアーク方式のカード記入の手間と記録が残るという2つの弱点を解決できるものとして1970年代には着々と切り替えが行われ、1980年代には図書館の貸出管理システムのデファクトスタンダードに取って代わられたようです。

図書館の自由に関する宣言の第3ができたのは1979年、ニューアーク方式全盛期にはなかった条項ですが、そもそもの基本として「読書の自由」、要はどんな本を読もうが当人の自由であるというのが根幹にあり、その上で当人が何を読んでいるかは思想や信条、嗜好に直結するセンシティブな情報(機微情報)であるとの認識はなされていたようです。

余談:貸出記録がどんくらいセンシティブかというと、子供がいるお家と図書館の電話で
図書館員「お子さんが図書館の本を延滞してまして」
親御さん「わぁ大変、代わりに返しに行くのでなんていう本か教えて下さい!」
で図書館員がどの本を貸してるか教えるのもアウトなのだとか。まぁ子供の場合は年齢にもよりますけどどんな本を借りてるか知られたくないっていうのはあり得るので、やりすぎとは一概には言えませんよねぇ。

履歴が残ったほうが都合がよかった場合

まちの図書館がニューアーク方式をどんどん廃止しブラウン方式、またはコンピュータ式に移行していく中、いつまでたってもニューアーク方式を使い続ける図書館がありました。学校図書館です。というのも、 学校図書館は図書館とは異なり図書館法ではなく学校図書館法によって規定されており、第2条で次のように定義されていることによります。

この法律において「学校図書館」とは、(中略) 図書、視覚聴覚教育の資料その他学校教育に必要な資料(以下「図書館資料」という。)を収集し、整理し、及び保存し、これを児童又は生徒及び教員の利用に供することによつて、学校の教育課程の展開に寄与するとともに、児童又は生徒の健全な教養を育成することを目的として設けられる学校の設備をいう。

学校図書館法 第2条 (e-Gov法令検索)

中略した部分の説明:ここで言う学校は小中高の各学校及び特別支援学校などを指します。高専や大学に設置される図書館は括りとして大学図書館と呼ばれますがこれを定義する法はなく、学校教育法に基づく各学校の設置基準(省令)において設置することとされています。高専の場合は高等専門学校設置基準の第23条および第25条で設置することと規定されています。

ちなみに地方自治体などが設置する図書館は図書館法第2条で次のように定義されます。

この法律において「図書館」とは、図書、記録その他必要な資料を収集し、整理し、保存して、一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーシヨン等に資することを目的とする施設 (中略) をいう。

図書館法 第2条 (e-Gov法令検索)

不特定多数の利用者に本を貸し出す図書館にとって貸出履歴というセンシティブな情報が残るニューアーク方式はとっとと排除したいシステムでした。しかし教育現場である学校図書館公共図書館とは役割が異なり、どの生徒がどんな本を借りているかがわかるというのは教育上メリットのある情報であり知っておくべき情報と認識されたこともあって、まちの図書館ではニューアーク方式がとっくの昔に廃れた2000年台になっても学校図書館では現役というのがよくありました。宮野が卒業した小学校もその一つでした。

とはいえ学校図書館図書館の自由に関する宣言に則って運営されるべきであり、また時代の移り変わりで生徒児童のプライバシーも尊重されるべきという方向に変わってきています。まず1979年時点で日本図書館協会の図書館の自由調査委員会は学校図書館における貸出履歴の取り扱いについて次のような見解を示しています。

教員が自ら指導の責任を持つ児童・生徒・学生の読書に関心を持つのは当然であり、そうした情報がなければ個別の教育指導は困難となろう。しかし、読者である児童・生徒・学生の立場からすれば、やはり独立した人格を持っている以上、何を読んだかが担当教員に知られることを好まない場合もあろう。

したがって、この矛盾は教員と児童・生徒・学生の信頼関係と、その読書事実は児童・生徒・学生等の教育指導以外には使用しないという読書の自由に関する教員の深い理解によって解決されなければなるまい。

山口真也 (2013) 学校図書館における貸出履歴の取り扱いをめぐる論点整理, 8 (スライド)

原典の参照に時間がかかるためやむを得ず孫引きしています。
原典:日本図書館協会 (1979) 図書館の自由に関する宣言1979年改訂, 30

とされ、「教育指導目的で貸出記録を教員が見ることは「読書の自由」と反しない」と解されました。しかし1980年代半ばから1987年版では厳しめになります。

読者の人格の尊重と教育指導上の要請の兼ね合いは、教員と児童・生徒の信頼関係と、読書の自由に関する教員の深い理解にたって解決されなければなるまい。

日本図書館協会 (1987) 「図書館の自由に関する宣言1979年改訂」 解説, 32

少々どう変わったかが分かりづらいですが、前後の文を読むと「信頼関係」によって解決すべきであるという姿勢が強くなったことが伺えます。

貸出記録を読書指導に用いて良いか、という問題 も 信頼関係によって解決するべき=「どうぞ直接お聞き下さい」と答えることで解決するべき(自己開示情報・自分でコントロールできる、読書ノートを使う等)

山口真也 (2013) 学校図書館における貸出履歴の取り扱いをめぐる論点整理, 12 (スライド)

自己開示情報という言葉が少々難しいですが、利用者たる児童生徒が教員から「何読んでる?」に対しどの本を読んでますと答えるか答えないか、つまり「これは読んでるって知られてもいいかな」と自分で判断させようねっていうことですね。

2004年版でのさらに厳しくなり次のような文が付け加えられます。

児童・生徒の利用記録が容易に取り出せないような貸出方式を採用することは、その前提であろう。

日本図書館協会図書館の自由委員会 (2004) 「図書館の自由に関する宣言1979年改訂」解説, 38

こういった時代の流れもあってか、(まぁコンピュータ式があまりも有能だからだとは思うんですが)うちの小学校もぼくが2年生になるころにはすべての本にバーコードが貼られ、PCで管理されるようになっていました。

今となってはニューアーク方式をもうちょっと堪能したかった気持ちもありますが当時2年生のぼくはバーコードピッにそれなりに感動していた思い出があります。蔵書管理と貸出処理用のノートPCとUSBで繋がれたバーコードリーダーを持つ司書の先生が頼もしく見えたものです。

この後も議論が進むたびに学校図書館の貸出記録は児童生徒のプライバシーとして扱われるべきという方向にシフトしています。とはいえ、

現在でもコンピュータを使用する貸出方式の場合、多くの学校図書館用システムが貸出記録が残ることを前提に作られている。

日本図書館協会図書館の自由委員会 (2008) 図書館の自由に関する事例集, 172

まぁ言われてみれば教員がカード見るみたいにサクッと見れる状況よりは情報は守られてたのかな?という気がしますが図書館だよりで貸出冊数とかガッツリ晒されてた記憶があるのでまぁそんなもんなのかもしれません。

コンピュータ式はというと

学校図書館についての話は以上のような感じでしたが、まちの図書館のコンピュータ式貸出システムの要件はどうなっているかというと当然ながらかなり厳しめです。

まずは日本図書館協会1984年に議決した「貸出業務へのコンピュータ導入に伴う個人情報の保護に関する基準」を見てみましょう。

 コンピュータによる貸出しに関する記録は、図書館における資料管理の一環であって、利用者の管理のためではないことを確認し、そのことに必要な範囲の記録しか図書館には残さないことを明らかにして、利用者の理解を得るよう努めなければならない。さらに、コンピュータのデータは図書館の責任において管理され、それが目的外に流用されたり、外部に漏らされたりしないこと、そのために必要な方策を十分整理することがぜひ必要である。

 コンピュータ導入は、大量の事務処理を効率的に行う手段であって、この手段をいかに運用するかは図書館の責任である。

貸出業務へのコンピュータ導入に伴う個人情報の保護に関する基準 - 日本図書館協会 (全文)

全文を貼り付けたいくらい重要なことがずらーっと並んでいますが、今回注目すべきはこの項目です。

四 貸出記録は、資料が返却されたらできるだけすみやかに消去しなければならない。

貸出業務へのコンピュータ導入に伴う個人情報の保護に関する基準 - 日本図書館協会 (全文)

コンピュータ式においても貸出がされた記録は保持せず速やかに消去せよと明文化されているのです。実際のところ過去1回に関しては記録しておくシステムもあるようですが、それより前の記録については削除するシステムがほとんどだそう。実際に利用している図書館の利用者ページを見ても貸出の履歴を見ることはできません。(本当に内部的にも保持していないかどうかはわからないですけどね)

佐賀県立図書館のマイページ (利用者IDとメールアドレスだけ隠しています)

注:誰が何を借りたかは消すべきとされていますがどの本が何回借りられたかは保持されるケースが多いようです。図書館のおしらせに貼り出されたりしている貸出回数ランキングみたいな統計的に処理された情報はセーフのようですね。

なお、貸出記録ではなく利用者が自主的にリストを作る機能(いわゆるMy本棚)を提供する図書館は存在します(佐賀市立図書館がその一つ スクショを用意したかったんですが利用カードの期限が切れてましたorz)。無論この場合図書館はMy本棚への登録データや操作履歴を利用することはないと明言しています。

場としての図書館

図書館が舞台に登場する作品は枚挙にいとまがありません。宮野が読んだ本で図書館が舞台だった作品は「図書館戦争」とかでしたが...(っていうか図書館の自由に関する宣言を知ったきっかけも図書館戦争なんですよね) 図書館は図書館ですが、新たな本との出会いはもちろん、新たな友との出会いの場に...なっていたとしたらそれは素敵なことだろうと思います。

それと同時に、現実の図書館は表現の中の図書館と闘ってきました。本に限らず、マンガやドラマ、映画で表現される図書館は必ずしも図書館の自由を遵守していたわけではなかったためです。

耳すばの「ブックカードで相手の名前を知る」という描写も、日本図書館協会スタジオジブリに抗議しています。耳すば公開当時はすでにニューアーク方式はほとんど廃れているほか、ニューアーク方式を導入している図書館でも名前ではなく利用者番号を書き込む仕組みだったようです。

参考:日本図書館協会図書館の自由委員会編 (2008) 図書館の自由に関する事例集, 169-173
っていうか今回書いてる内容ほとんどこれに凝縮されてて凹んでいます
ほかにも興味深い事例が盛りだくさんなので気になったらお近くの図書館へぜひ。

物語のキーアイテムとして数々の作品で活躍してきたニューアーク方式とブックカード。しかしそれとは別に、コンピュータが導入される前の所謂アナログなシステムは他の利用者や図書館員とのコミュニケーションを作り出すという副次的な効果も生み出していました。

この論文をお読みいただきたいのですが、一部を引用します。

あるとき、図書館にいた生徒たちに「理想の図書館」について尋ねてみると、「耳をすませば」(中略) に描かれている学校図書館が理想の図書館であると言う。一人がそういうと、何人もの生徒が同意した。そして、この生徒たちが理想と述べている図書館は、古色蒼然とした「古い学校の図書室」なのである。

(略)

コンピュータは便利であり、貸出返却等コンピュータを利用することに対しては好意的ということであった。『耳をすませば』の図書館が理想であるというのは、利用方法を言うのではなく、図書館に人がいることがいいのであるということであった。(大平 2008) 図書館を通じて誰かとコミュニケーションできることに対して喜びや、憧れをもっていた。

大平睦美 (2009) 学校図書館の現状 : 私立K中学高等学校における図書館の変遷から, 大阪大学教育学年報 14巻, 27-35 (大阪大学リポジトリ)

原典の参照にめっちゃ時間がかかる(国立国会図書館に遠隔複写を申し込む必要があるレベル)ためやむを得ず孫引きしています。
原典:大平睦美 (2008) 「カウンターだより」『千里眼』第103号, 14-20, 財団法人千里文化財団 (国立国会図書館オンライン)

まぁこれだけだとTwitterこの間の牛丼屋のセルフレジにキレてたおっさんみたいに聞こえますが、アナログだったからこそ生まれた出会いも存在したと思うのです。

図書館で本を探すとき、現在ならOPAC(検索端末)で検索して棚番なり請求記号を調べてから棚に直行すればいい話ですし、検索結果0でもあ~あで終わりです。しかし、OPACのない時代お目当ての本を探すにはNDC(日本十進分類法)を頼りに棚を虱潰しに調べるか、司書さんに聞くしかありませんでした。その分棚をめぐる時間、司書さんに聞くことが今よりも格段多かっただろうと思います。図書館中探したけれども本が見つからなかった...なんてこともあったはずです。

コンピュータ方式が導入される以前のアナログなシステムは非効率であり、時代の移り変わりで古いシステムが淘汰されるのは致し方のないことです。しかしながらアナログであったが故に、人や、新たなる本との出会いのチャンスがより多かったのだろうと考えます。それはそれでちょっとさみしい気がしますね。皆さんはどう思われます?

空想文学少女と図書館

長々とオタクの乱筆乱文にお付き合い頂きありがとうございます。ほとんど図書館学な学生のレポートみたいになってしまいましたが、かつて数多くの物語のキーアイテムになったブックカードを、そして淘汰されてしまった古きあの日のシステムを知ってから空想文学少女恋物語を読めば、きっとその良さに気づいていただけるものと信じています。

とはいえ図書館側からしたら好ましからざる歌詞であることに違いはないはずなのでこれをおおっぴらにエモいエモい言っていいのかみたいなジレンマで狂います。さっきアナログであったが故にとか書きましたけど古のシステムがなぜ淘汰されたかってだいたい問題を抱えていたからなんですよねえええええ(発狂) これにうまく折り合いをつけたいけどそう簡単にはつかないでしょうからもうしばらくは狂ってなきゃならないようです。ニューアーク方式が良いわけではないんですが悪いとも言えない、このなんとも言えないつらさ。

はぁ(深呼吸)、ところで(急)七尾百合子さんはどちらかというとOPACでサクッと検索して借りて読むというより、本棚と本棚の間をこしているイメージが強いのですがどうでしょう?有識者のご意見を賜りたいところではあります。七尾百合子さんかわいいな。七尾百合子さんかわいいです。

お気に入りの物語 (ミリシタSSR)

やはり七尾百合子さん本棚と向き合ってるのはとっても似合うなぁと個人的には思います。カードイラストのテイストとか、あとはこのカードによるところが大きい気がします。

本へのコダワリ (グリマスHR)

電子書籍よりは紙の本が好きという気持ちは激しく同意できる。それはそれとして電子書籍にそれほど浮かない顔してる七尾百合子さんもかわいい。

デジタルとアナログの融合 (グリマスHR)

これどこか早く開発して?私はとてもこれがほしい。

あぁあとは図書係っていうのもいいですねぇ 結構幅広い本を読んでいるのであろう百合子さんにぴったりなお仕事だと思います。

しっかり者の図書係 (グリマスR)

あれ、よく見たら百合子さんのこのカード「次はカ-ドの整理、っと♪」とか言ってますね。ニューアーク方式だ...(以下無限ループ)

さて(強制終了)、明日はいよいよクリスマス。明日のべべカレはじぇにーwwwwさんの「俺とアイマスアイマストドン」です。皆様よいクリスマスと年越しを、来年もよろしくお願いいたします。

そういえば、本日は月齢27.5と月明かりも少なく天気さえ良ければ日付が変わる頃南の空にシリウスが煌めいているはずです。もし天気が良ければ夜空も見上げてみてくださいね。